2012年9月2日日曜日

「パクる」と『猿真似』は違うだろ

「パクる」と『猿真似』は違うだろ

logicalxradical.com

admin ◆ものかき,

ちょうど今、必死で書きまくりな日々を過ごしているんですが、

タイムリーに身の回りで盗作・著作権等に関することが相次いでますので

息抜きにちょっとしたためてみようかと思います。

こちらの内容を書くにあたって

あくまでこれは私見ですし、盗作やパクリを擁護するつもりはありません。

私自身、これまで作ったデザインはパクられまくってますし、時には

画像をそのまま別サイトに転用されてたなんてこともありました。(←これは違法です)

Webの業界だけでは無いのかもしれませんが、パクリ・盗作というものが

かなり横行しやすい業界だと思います。そんな中のあくまで私なりの考えです。

ぶっちゃけパクられるのは仕方がない

「泣き寝入りをする」という意味ではありません。

でも、しょうがないです。

現行の法律では、Web上のパクリ関係については著作権以外で訴えるのは難しいです。

つまり、アイディアだけパクられて、向こうで作られた日には、それは裁くのが難しい。

ということです。

つまり、一側面的に見ると合法的である。ということ。

(倫理的に良し悪しはあると思います。)

まずは、法律的なお話。

これをやる・やらないは個人や会社の姿勢の問題。

ただ、可能性として、「パクられる」という内容に関しては覚悟が必要だということです。

駆け出しのデザイナー・マーケッターとしては…

翻って、私の話をします。

「じゃああなたはパクったことがないのか?」

と言われると、パクったことがある側の人間だと思います。

というのも、このパクるというのも難しい問題なのですが、

・デザインのテイストをパクったら悪か?

・キャッチのテキストをパクったら悪か?

・バナーの色味をパクったら悪か?

・全部をパクるのは悪だけど、一部なら善か?

と、考えていった際に、明確な基準はありません。

偉そうに言うことでは無いかもしれませんが、

まだまだ駆け出しの私には、先人の方の作ったランディングページは大変参考になります。

「これはすごいな〜」

「あれ?これは微妙だな…」

と様々ありますが、できる限りいろんなページを見比べて、

・そのページの「良いな!」と思った点

・そのページの「微妙だな…」と思った点

をそれぞれ挙げ、良いエッセンスを盛り込み・悪いエッセンスを排除する。

ということを行なっていきます。

そのため、「パクっている?」と言われればパクリだと思います。

ですが、より良いと思う広告へ自分なりにアレンジを加えて作成する。というのが私の姿勢です。

余談ですが、若い人はどんどんパクるべきだと思うし、

そうして力をつけていくべきだと思う。それは私は他の人にも伝えていることです。

至高の広告は存在しない

「至高の広告は存在しない」というのは私が常々思っていることです。

広告(特にリスティングの様な日々流動的なもの)を扱っている人には分かると思いますが、

本当に広告運用にはゴールがありません。

例え、いっときゴールを迎えても、それは長続きしません。

必ずなにかしらの状況の変化が起こり、さらなる進化を繰り返し続ける必要があります。

「今日、このエリアで、この業種で、この広告が至高」というのは存在するかもしれません。

ただ、それは一瞬先には過去のものになり、消え行くものです。

そのため、広告に従事する人というのは、常に新しい手法や切り口や内容や…

とにかく日々自分自身にイノベーションを起こしていく必要があると私は思います。

なので、ただパクっただけのものはその時点で過去のものです。

その瞬間では成果が出るのかもしれませんが、それは一過性です。

あなたの成果では無いですし、それは誇るものでもありません。

パクり続ける恐怖

話をパクリ騒動に戻しましょう。

今回伺ったパクリに関しては、私はかなりの悲しさと焦りを感じています。

「こんなことを平然と行って胸を張る担当者が横行して良いのか?」

まぁ、いいんですけどね。悲しいですよね。

同時に感じている焦りは、こうした「頭を使わないパクリ」がスタンダードにならないか?

ということです。

「馬鹿な担当者が増える」ということは、いち運用者としては正直助かる話しです。

ただ、そうした担当者にあたった会社の悲劇と言ったらないでしょう。

「お父さん仕事何してるの〜??」

『パパは広告代理店でばりばり働いているさ〜HAHAHA。』

とか言いながら、やってることはパクリとか、そんなの悲劇じゃないですか。

そうして、年老いて

「あぁ、私の人生はパクリ一辺倒だった。本当に他の人に生かされていた。多謝。」

と言って老衰して死ぬ。そんなのどうなんですか?悲劇じゃないっすか?

と思うわけです。お前は人生で何を世の中に残したのだ?!と。

生まれてきた価値はあるのか?子どもになにか残してやれるのか?と。

まぁ、これはあくまで個人の価値観なのでどうでもいい話なのですが、

せっかく広告に従事しているのに、同じ業界にいてなんだか可哀想だな。と思ってしまうのです。

パクるしかできない人は、パクり続けるしかありません。

生み出しを放棄した人は、これから先も放棄し続けるのだと思います。

そうするとパクり続けるしか生きる道がありません。

パクるものが無くなった瞬間にDEATHです。生活保護みたいっすね。

生み出し続ける苦しみ

さて、また話がそれました。今度は生み出し側の話をします。

新しいものを作るというのは、本当に苦しいです。

ただし、良い物を作ったときはひとしおです。問合せが入りまくると小踊りします。

そんな広告は目に入れても痛くない、まさに子どものようなものです。

但し、その広告はやがて大きくなり独り立ちします。

必ずどこかで別れが来ることを考えないといけません。

つまり、先頭切って走ったからには、最後までずっと先頭で走っていくしかないです。

そのためには、新しいものを生み出し続けるしか無いと私は思います。

別に新しくなくても良いです。古くてもいい。

自分が作った過去のものでも良い。

あなたが本当に苦しんで苦しんで生み出した広告は、

いつ、だれに、なにを届けるのかが明確になっているはずです。

だから、その広告はあなたが苦しんでいるときに必ず助けてくれるはずなんです。

これが、ただパクリ続ける人との大きな差です。

なにも考えずにパクリ続けると、物事の本質が見えてきません。

なぜ?という理由が出せないので、結局は表面的な部分しか真似出来ません。

結果、そうした人は衰退していきます。これは世の常でしょう。

だから、卑下する必要も無いと思います。同じ土俵では絶対に負けないので。

総論として

ちょっとした息抜きのつもりが長くなってしまいました・・・。

要は、パクるとかパクられるとかは、もはや置いておいて、

自社や自分のクライアントを第一に考えて、どんどん新しいものを作っていく。

というのが良いのではと思っています。

もちろん、どうしようも無い業者さまもいらっしゃいます。

本当に頭のネジがこんにゃくでできているんじゃないか?って人もいらっしゃいますよね。

ですが、この土俵ではひとまず捨ておいて良いと思います。

いつか必ずそんな業者はしっぺ返しを喰らいますし、別の手段で制裁を加えればよいだけです。

だから、私はアイディアはどんどん出すし、それでいろんな商売がうまく回ればそれで良いと思います。

一人だけがアホみたいに儲かろうという精神は、いつの時代も栄えないですからね。

三方良し・先義後利と、江戸商人の教えは今でも通じると思います。

パクリ騒動, ライティング

中文サイトを作るときに、翻訳データが画像データでまじで泣きそうになった

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