2012年10月7日日曜日

上場準備・停滞・改革

上場準備・停滞・改革

by mtakayama, mtakayama.jugem.jp
November 30th -0001

2003年〜2004年ごろのエース級人材の大量流出により社内は混乱していたが 残った社員がよく踏ん張ってくれて、業績は急拡大を続けていた。

そしてこの頃 前に進むべく上場準備の開始を決断。まずは創業以来常勤役員が私一人という体制から脱却すべく役員を選出することが急務となった。混乱の中でもあり「火中の栗を拾う」意思を重視したく、その気のある社員に立候補させ面談して決意を聞き これまでの活躍や能力を加味して選考、2004年4月、7名の候補者の中から若手2名を抜擢した。

さらに監査役にVCからの紹介で現CFOの室井を迎え(その後取締役管理本部長に)上場準備が進んでいく。

現場はサーチワード時代の勝ちパターンから脱却しリスティングに最適化した組織をつくるべく試行錯誤を繰り返していた。

しかし 私の不徳・力不足による人材流出や組織改革の不徹底は徐々にボディブローのように効いてくる。。。

2004年リスティング広告市場は急成長、すでに大手ネット代理店もリスティングに本腰をいれており競争は激化、2004年後半ごろからクライアントを他代理店にリプレースされる(取引を切り替えられる)ことが増え始める。

いつのまにかオーバーチュア推奨認定代理店の中で 売上順位は最下位になり 先頭集団から距離を離されはじめていた。。。

それでも2004年9月期は前年比2倍の21億円。5年連続の売上前年比2倍以上を達成はした。。


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一方で新しい力が台頭しはじめていた。

2003年8月に入社した現社長の紺野は 誰よりもリスティングの知識を深く身につけクライアントの信頼を勝ち得て2004年ごろから徐々に頭角を現してきた。


そして2004年後半から 要求レベルが高くご予算もこれまでになく大きな ある大手のお客様との取引がスタート、 お客様に鍛えられつつ このお取引をきっかけにさらに本人も努力し大きく成長する。

この頃から現営業担当執行役員小坂との「kkコンビ」はコンペで勝ちを重ね、、業界でも名前が売れ始める。


また 2004年5月に「SEM総合研究所」を設立 以前から接点のあった渡辺に声をかけ 客員主任研究員(後に所長)として迎えることになった。さらに翌2005年4月には 彼が社員として当社に加わることになり、同じころSEOサービスの自社供給もスタートした。

SEO業界において誰もが認める第一人者である渡辺のJoinは業界内の当社ブランド形成、社員への影響ともに極めて大きかった。


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2005年から社運を賭けて組織をリスティングに最適化すべく改革に取り組む。

営業と管理運用にわけていたラインに戦略的にコンサル・運用をするストラテジストポジションを創設。

リスティングのオペレーションを新規開拓の営業、既存クライアント深耕営業、ストラテジスト、管理運用にわけ 人数ではストラテジストを最多数にすべく採用を加速。


機動力 コミュニケーション能力が重用視されるこの業界にあって採用基準を 「ロジカルシンキング、思考の粘り強さ」などにおいた。

かつての「起業志願者採用」で集まってきた一騎当千の肉食系のつわものとはちがう 草食系 ロジカルな社風、ネット広告代理店という業態としてはユニークな文化が徐々に形成されていく。


評価制度も 数字ではなく 定性評価をメーンに。


営業マンのインセンティブ制度は廃止した。

これら改革を現場では紺野がプレイヤーとしてTOPを張りながら推進した。

変革期は我慢の時期でもあった。


2005年9月期は前年比150%の成長で30億。増収ながら減益で、前年比2倍以上の売上成長も5年でSTOPした。

前年比150%は世間一般からみると急成長かもしれないがネット広告市場はより早く急拡大しており当社の計画もよりアクティブだった。


予算未達で上場も延期、、まさに停滞の 悔しい1年となった。。。

Original Page: http://mtakayama.jugem.jp/?eid=20

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